おおきな木
この特別なリンゴの木を「Giving Tree(寛大な木)」としか呼ばないのはいささか控えめすぎる。簡潔な表現とシンプルな線描画で人気のシェル・シルヴァスタインによるこの作品では、1本の木がまず、1人のやんちゃな少年に緑あふれる遊び場を与える存在になり、やがて心地よい木陰やおいしいリンゴを与える様子を描いていく。少年を喜ばせることがこの木の喜びだったが、少年の願いをかなえるためにこの木が払う代償はしだいに大きくなっていく。少年が「お金が欲しい」と言えば、寛大な木は自分のリンゴを売ってはどうかと提案し、「家が欲しい」と言えば、材木として自分の枝を切ってはどうかと提案する。やがて成長した少年は、木と遊ぶには大きくなりすぎたから代わりにボートが欲しい、とねだる。寛大な木は、自分を根元から切り倒せばその幹でボートを作ることができるだろう、と提案する。そして少年は無分別にもこの木を切り倒してしまう。ここで本書はページ見開きで、痛ましい、孤独な姿の切り株を、少年がかつて「M.E. + T(ぼくと木)」と刻んだ根元までばっさりと切られた切り株を、ぽつんと描いている。…「そして木はしあわせだった…でもそれはほんとかな?」
このようにして寛大な木はすべてを捧げ尽くしたが、やがてかつての少年は老人となって、腰を下ろして休める静かな場所を求めて戻ってくる。木はやはり自分の精一杯でもてなそうと、自分の上に腰掛けて休むように促す。老人は自分がかつて切り倒した切り株の上に腰掛ける…「そして、木はしあわせだった」
本書のメッセージは明確にされていない。「もらえるものはもらい尽くせ」だろうか?「捧げられるものは捧げ尽くせ」なのか?はたまた「完全なる自己犠牲は素晴らしい精神だ」か?あるいは、「完全なる自己犠牲ほど哀れなものはない」だろうか?…シルヴァスタインは「寛大にも」読者の手にあえて、解釈をゆだねてくれたとみえる。
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心に深く住まう物語 |
初めてこの本に出会ってから10数年が経ちます。普段は忘れているけれど、いつも心のどこかにあって、ふとした時に思い出される物語です。ある時にはそんな愛があるんだと肯定してみたり、時にはそんなの愛じゃないと否定してみたり、もっと違う解釈があるのではと色々考えさせられ続けました。そして、この物語に慰められたり、怒ったりとしながら、少しずつ心が潤ってきた気がします。子供はもちろん、子供のいる人もいない人も、あらゆる年齢の方に読んでもらいたい本です。
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感動! 何度読み返してもじ〜んときます。 |
この本を始めて読んだとき、涙でページを進める事が出来ないくらい号泣しました。木の少年に対する愛の深さに感動すると共に、木が、与える事によって少年を愛し喜びを与える事で、木もまた少年に与える事の出来る幸せをもらっていたんだなぁと解釈しました。
本の対象年齢が4−8歳になっていますが、大切な人がいるすべての人に読んで欲しいなぁと思う本です。
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おおきな木を読んで |
本当に感動しました。木の、男の子に対する愛の深さがすごく伝わってきて、涙が止まりませんでした。小さい子供がいるお母さんは、ぜひ、お子さんにも読んであげてください。
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与えることの幸せは・・・ |
与え続ける木。
与えられ続ける少年。
少年はやがて老人になり、今度は愛する子供、それともパートナーなのか・・・
きっと、次は少年の番
木のように無償の愛を注ぐのでしょう。
悲しみを知っている人ほど、他人の痛みが分かるように、
優しさをいっぱい貰うと、優しさを与えられる人になれる。
10年以上前に購入し、実家に眠っていたこの本。
自分が親になって読むと、また違う印象を受けました。
我が子にそんな人になってほしい、
だから親は子供に無償の愛を注ぐのかもしれません。
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切なくも優しい物語 |
いつも遊びに来る少年が大好きなリンゴの木。
木に登って葉っぱを落としたり、リンゴを取って食べたり・・・。
そんな少年といっしょに過ごすことで、木は幸せを感じます。
でも、少年も大きくなってしまいます。久しぶりに会った木は
彼に幸せになってもらおうと考えます。
自分を犠牲にしてまでも、愛する心が勝るというストーリーは
とっても切なく、でも静かな優しさを感じます。
とてもジーンと、いつまでも忘れられない話だと思いました。


